私をヴェネチア・ビエンナーレに連れてって(仮)

展覧会の感想や気になったことを書き留めて、整理する場所として使います。

ロールプレイング展

昨年参加させてもらった展覧会「ロールプレイング」にて展示した作品の記録です。
ブログにまとめて掲載しようと思いつつ、1年近く経ってしまいました。
以下に、展覧会の情報・自分のステートメント・作品の写真を掲載します。
写真は谷川ヒロシさん(http://tololo.info)に撮っていただきました。
貴重な経験をさせていただき、皆様に感謝しています。ありがとうございました。

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ロールプレイング 
2017.2.28 [Tue.] - 3.5 [Sun.] 10:00-18:00
愛知県立芸術大学学食二階次元
浅井南 / 等々力芽生 / 福田莉代

この展覧会は、愛知県立芸術大学大崎研究室の研究会の一環として、芸大生および普段作品を制作しない参加者が「展覧会」という形式を用いて、それぞれの成果を発表するものです。本展は、様々な役割を求められる日常生活の中で出会った疑問や発見を、個々の視点から思考する場として「ロールプレイング」というタイトルで企画しました。
自宅での自分、学校での自分、職場での自分、どの自分も同じ自分に他ならないのに、私たちは場の状況に応じて、求められた役割を無意識のうちに演じ分けています。私たちの日常は、他者との関係の中で作り出される役割演技(roleplaying)の連続とも言えるのではないでしょうか。

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浅井 南 / Minami Asai
「記憶力が良い」と言われることがよくある。たしかに昔から暗記科目だけは得意だった。話した本人すら忘れているような、とりとめのない会話を一言一句覚えていたりして、驚かれることもある。学生時代にフィールドワークをしていた時、ICレコーダーを回せないような現場に入って、参与観察を繰り返していたからかもしれない。
日常生活の中で、記録にも記憶にも残らないようなものを見つけた時、とてもいとおしく感じる。刹那的とも感傷的とも少し違う、このいとおしいという気持ちはどこから来るのだろう。
私はいま、展覧会のサポートをする仕事をしている。偶然就いたこの仕事は、作家と鑑賞者の間を行ったり来たりする仕事で、一般的にはアートマネジメントというらしい。作家と鑑賞者の隙間に立つことで見えてくる景色があり、私はその景色をいつもいとおしく感じながら眺めている。

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「sun.19:00〜mon.13:00」
ミクストメディア/サイズ可変

 

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作品より人に興味がわくことについて

いろいろな展覧会に行って、「やっぱり作品よりも人の方に興味がある」と思うことが多くなりました。美術史を勉強して、文脈がもっとわかるようになれば、作品単体でももっと楽しめるようになるかもしれないけど、多分、人に興味がわくというのは変わらない気がします。

 

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この前、京都でやっている東アジア芸術祭に行ったんですが、展示会場で60〜70代くらいのボランティアのご婦人と何気ないおしゃべりをしたのが楽しかった。特別な思い出というわけでもないけど、なんとなく忘れられません。

無意識に京都市内にお住まいの近所の方がボランティアしてるんだろうと思っていたけど、話を聞いていたら、その方は大阪の枚方市からボランティアに通っているとのことでした。
しかも、ボランティアをやるようになったきっかけは「ここが出来た時に素敵だなぁと思った」からだそうです。そのふわっとした動機はなんとも面白く、いとおしく感じました。

他にも何か動機があるのかもしれないけれど、関西はこちらよりも何となくアートや文化事業に関わるハードルが低そうな気がします。もっと突っ込んでお話を聞きたくなりました(が調査っぽくなるのでやめました)。

 

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話は変わりますが、今日は仕事の展覧会でアーティストトークがあったり、終わってから作家さんとお話する時間がありました。やっぱり作品を見るだけじゃなくて、そこに関わる人の話を聞くのは楽しい。

 

楽しいと思うのは多分、一見合理的と思えない人の行為(コンセプトの立て方だったり製作方法だったり展示方法だったり)について、その人の話を聞いているうちにだんだん引き込まれて、何となく合理的に思えてくるような感覚があるからだと思います。

話を聞いている間は、その人の価値観を受け入れることができて、その人の人生を追体験しているような気持ちになれます。

 

私はストレスを感じやすい方なので、人の多いところが苦手なんですが、銭湯と居酒屋と展覧会は多分別枠で同じレベルで好きです。

エモい展覧会

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ヴェネチア・ビエンナーレの年だけど、仕事が休めそうになくてたぶん行けない気がします。

豪雨がきて大変だったけど、わたしはなんとか元気です。最近は、内覧会でジュースをたくさん飲んだり、つづきりょうこさんの個展にいってお話して久々にブレイクスルーの嵐が起きたり、してました。


内覧会、、、、そもそも内覧会の招待状をもらうという経験が人生で初めてだったのでとてもうれしかったです。

展覧会とは関係ないけど、ブッチャーズが大学の新歓祭に(大したギャラも出せないのに)来てくれたことや、スタッフとして吉村さん・ひさ子さんのお子さんのお世話係をしたことや、ずっと仮面ライダーごっこやかくれんぼをしていて肝心のライブを全然見れなかったことや、それでもいろいろ楽しかったことを思い出しました。


さて、奈良さんの展示の方は、作品も楽しいけど、お客さんの反応をみてるのが思いがけず本当に楽しくて、絵よりもお客さんとか展示方法とか塗り直された壁とかの方を一生懸命観察してました。

また行きたいな。


森千裕展は、とてもエモい(!)気分になりました。エモいとしかいいようのないとても好きな感じ、、自分でもびっくりしました。

展覧会をみてこんなにエモい気分になることがあるなんて思わなかったのでびっくりだし、そもそもエモい気分になる自分にしばらく出会ってなかったのでさらにびっくりした。

私のいうエモい気分とは、好きな音楽を聴いて酔っ払って、ステージに登って、スピーカーにも登って、背中からダイブするときのような、よくわからないけどなんか胸にくる/どうにでもなれーみたいな気分です。

また行きたいな。

そして、ナンバーガールのライブ映像がみたいです。西部講堂のやつが好きです。


つづきりょうこさんの個展も新しい発見がありました。つづきさんにいろいろ質問すると、ネガティヴなことばっかり返してくるのでちょっと面白かった。

つづきさんの説明を整理すると、ネガティヴな選択の連続で作品ができていることになってしまうのだけど、きっと本当はネガティヴなだけじゃないと思うのでますます気になります。

つづきさんにとっての描くという行為や、版画の技法やライブペイントで人に見られることがつづきさんにどんなふうに作用しているのかとかお聞きして、考えるヒントをいろいろもらいました。

もうちょっとで説明ができそうな気がするので、もう少し考え続けてみようとおもいます


https://youtu.be/6I2bXYRoDn0


わからないことに囲まれて

京都に行っていました。
佐藤さんと都築さんの展示を観る、京芸の修了制作展に行く、生肉を食べる、という当初の目的を無事に達成して帰りました。

京都芸大は初めて行ったけど、展示されてる作品よりも、大学の中のごちゃごちゃした生活感の方が気になってしまいました。(良い意味で)
作品以外にも観るべきところがたくさんありすぎて、時間が全然足りませんでした。すごい遠かったけどまた行きたいな。

 

今回京都でみた作品の中で、なるほど!とか、腑に落ちた!という感覚になったものはあんまりなくて、ほとんどの作品が逆立ちしたってよくわからない感じだった。

こんなにもわからない作品を見続けるのはすごく久しぶりな気がします。(というか、少しでも見方がわかる作品に出会えていること自体が奇跡なのかもしれない)

わからないものを見続けるのは、自分にちょっとした負荷をかけているようなものだと思います。負荷がかかりすぎるとしんどくなるので、今回はあまり無理をせずにほどほどにしようと思って、帰りにもう1回PARCに寄って帰りました。

 

佐藤さんの作品は、2回観てもどうしても手がかりが見つからないから一旦考えるのをやめて寝かせることにしました。

都築さんの作品は、大崎先生の文章と都築さんから聞いた話を手がかりに考えて、試し刷りの2枚がやっぱり良いなぁと思いました。(破れてるところも含めて。)

試し刷りの2枚がぐっときたのは、ドローイングとか他の作品と比較しながら観れたからであって、見せ方の重要性にも気づけました。

試し刷りじゃない大きい作品とかドローイングは、なんとなく型があって、コントロールの範囲内での不規則な動きに見えました。試し刷りの方はコントロールの範囲外の不規則な動きがあって、その差異にとてもぐっときました。そこに気づけたら、ブレイクスルーが起きてすごくすっきりしました。

今回、京都にいって考えたことは、わたしにはまだわからないことがいっぱいあるということです。でもわからないことがあるのは楽しい。そして、わからないにも種類があって、わからなくてもどうでもいいわからなさとか、わかりたいわからなさとかいろいろある、ということが今回の展示をみてわかりました。

また京都行こうとおもいます。違う土地で考えるのもまた刺激になって楽しい。

 

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「地獄に虹がかかる」

一昨日、午前中に本部で会議があり、昼に終わったのでその足でサテライトギャラリーに行って、石場さんと中山さんの展示をみた。

石場さんとはこれまでいろいろたくさん話してきたけど、中山さんとはそんなに話したことがなかった。

 

中山さんの作品は、秋に学食二階で観たことがあったけど、どうやって観たらいいのかわからなかった。ただ、ポートフォリオをめくってみて、中山さんの作品のタイトルは、どれも語感が軽やかでかっこいいなと思った。

 

一昨日観にいった展示でも、タイトルがすごく気になった。「地獄に虹がかかる」という作品のタイトルが特に気になった。

「地獄に虹をかける」でも「地獄にかかっている虹」でもなくて、「地獄に虹がかかる」。このタイトルに決めたのはなぜなのか、とても気になった。

 

中山さんの作品タイトルをみていると、なんとなくCDにして売れば良いのにと思ってしまう。

主語がだれなのか、どこからの視点なのかわからない。それがぐっときて気になるんだと思う。

なんでCDにすればいいのにと思ったんだろうと、いろいろ考えてたら初期のthee michelle gun elephantが浮かんできた。

初期のミッシェル、主語や視点がぼんやりしててすごく好きです。「さっきまでがアタマの中ではねた」とか、「じめる うなだれ つまさきで」とか。

なんか、勝手に色んなことがつながったように思えて、勝手に腑に落ちて、うれしくなっています。

 

展覧会に行って、作家と話して、こういう小さなブレイクスルーがぽつぽつと起こるのがとてもたのしい。たまにどしゃぶりになるときもあるけど、それはもっとたのしくてうれしい。

もっとブレイクスルーがたくさん起きて、びしょびしょでびたびたになるくらいどしゃぶりの雨を浴びたいです。(でもずっと浴びてると風邪引いて体力が弱るから、休み休みにしておこう。)

雨宮まみさんのこと

以前コレクター?ぽいおじさんが、若い作家さん(女性)に、「目立つためには絵だけじゃだめなんだ、もう一つ何か持ってないと。松井冬子みたいに美人なら良いけど、あんたは違うだろ?まぁ頑張って」みたいに言ってる場面に遭遇したのを思い出した。

その時に、作家さんに何か気の利いた言葉のひとつでもかけたかったし、そのおっさんに皮肉の一つでも言ってやりたいと思ったのだけど、良い言葉が見つからなくてとてももどかしかったのも思い出した。

今でもなかなか良い言葉が見つからないし、どうしたら正解だったのかもわからない。

いろいろと理不尽なことに直面したとき、これまではすごく感情的になって、当たり散らして、もどかしさを紛らわそうとしてきた。
でも今は、なるべく理不尽さを瞬時に淡々と言葉で理解して、説明できるようになりたいと思っている。

雨宮さんの文章を読んで、視野が広がったことが何度かあった。
私は本を何冊も持ってるようなファンではないけど、もう新しい文章が読めないと思うととても残念です。
雨宮さんの文章は、正解を教えてくれるというより、もどかしい気持ちや漠然とした不安を一緒に整理してくれる文章で、好きでした。

ジャズ研の先輩

どうしたら目の前で起きていることを面白がることができるか、という考え方を教えてくれたのは、らくださんというジャズ研の先輩だった。

それと、楽しくない状況をどう楽しむか考えることはすごく面白い、ということも、らくださんから学んだ。

 

私は自分の思い通りにならないとすぐイライラしてヒステリックになる、友達ができない典型のような学生であったので、軽々といろんな事態を乗り越えていくらくださんがとてもうらやましかった。

らくださんはいつもふざけている先輩に見えたけど、なんでも自分が楽しくなるように考えることのできる人だったんだなぁ、と今ならよくわかる。

私が1年のとき、らくださんは4年生だったので、実質1年くらいしか関わっていない。らくださんは卒業後、大手企業に就職して、そのあと何年かして転職して、今は何をされているかわからないけど、たぶんずっと自分がやりたいことを追求して楽しく過ごされていると思う。

 

らくださんは面白い先輩だったので、弟子のように慕っている人が何人かいた。私はそういう弟子のような人に比べたら、そこまで深く関わったわけではなかった。

らくださんの何気ない発言やふるまいに接したのは、人生の中でほんの一瞬のことだったけど、今でもなぜかときどき思い出してははっとすることがある。

ほんの一瞬ふれただけの、大したことない一言や行動が、私の人生に何かしらじわじわと影響を与えているようなので、他人の人生も自分の人生も面白いなぁとおもう。

 

誰かに影響される。影響されてとった行動が、また別の何かに変わったり、新しい局面を生み出す。

人は、偶然の積み重ねでいろいろな人と出会い、関わりながら生きていくわけだけど、それはジャズセッションみたいなものだと思う。

 

そういえば、ジャズ研の別の先輩で、大森さんという先輩がいて、誰かをセッションに誘うときはいつも「会話しようぜ」と声をかけていた。 大森さんの楽器はピアノで、 すごく上手くて、本当になめらかに会話をするように自分の気分を演奏で表せる先輩だった。

会話も、セッションも、人の関係性も、もっといえば人生も、影響しあいながら意図せず流動的に形が変わるものなんだって、それも先輩から学んだことです。