私をヴェネチア・ビエンナーレに連れてって(仮)

展覧会の感想や気になったことを書き留めて、整理する場所として使います。

エモい展覧会

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ヴェネチア・ビエンナーレの年だけど、仕事が休めそうになくてたぶん行けない気がします。

豪雨がきて大変だったけど、わたしはなんとか元気です。最近は、内覧会でジュースをたくさん飲んだり、つづきりょうこさんの個展にいってお話して久々にブレイクスルーの嵐が起きたり、してました。


内覧会、、、、そもそも内覧会の招待状をもらうという経験が人生で初めてだったのでとてもうれしかったです。

展覧会とは関係ないけど、ブッチャーズが大学の新歓祭に(大したギャラも出せないのに)来てくれたことや、スタッフとして吉村さん・ひさ子さんのお子さんのお世話係をしたことや、ずっと仮面ライダーごっこやかくれんぼをしていて肝心のライブを全然見れなかったことや、それでもいろいろ楽しかったことを思い出しました。


さて、奈良さんの展示の方は、作品も楽しいけど、お客さんの反応をみてるのが思いがけず本当に楽しくて、絵よりもお客さんとか展示方法とか塗り直された壁とかの方を一生懸命観察してました。

また行きたいな。


森千裕展は、とてもエモい(!)気分になりました。エモいとしかいいようのないとても好きな感じ、、自分でもびっくりしました。

展覧会をみてこんなにエモい気分になることがあるなんて思わなかったのでびっくりだし、そもそもエモい気分になる自分にしばらく出会ってなかったのでさらにびっくりした。

私のいうエモい気分とは、好きな音楽を聴いて酔っ払って、ステージに登って、スピーカーにも登って、背中からダイブするときのような、よくわからないけどなんか胸にくる/どうにでもなれーみたいな気分です。

また行きたいな。

そして、ナンバーガールのライブ映像がみたいです。西部講堂のやつが好きです。


つづきりょうこさんの個展も新しい発見がありました。つづきさんにいろいろ質問すると、ネガティヴなことばっかり返してくるのでちょっと面白かった。

つづきさんの説明を整理すると、ネガティヴな選択の連続で作品ができていることになってしまうのだけど、きっと本当はネガティヴなだけじゃないと思うのでますます気になります。

つづきさんにとっての描くという行為や、版画の技法やライブペイントで人に見られることがつづきさんにどんなふうに作用しているのかとかお聞きして、考えるヒントをいろいろもらいました。

もうちょっとで説明ができそうな気がするので、もう少し考え続けてみようとおもいます


https://youtu.be/6I2bXYRoDn0


わからないことに囲まれて

京都に行っていました。
佐藤さんと都築さんの展示を観る、京芸の修了制作展に行く、生肉を食べる、という当初の目的を無事に達成して帰りました。

京都芸大は初めて行ったけど、展示されてる作品よりも、大学の中のごちゃごちゃした生活感の方が気になってしまいました。(良い意味で)
作品以外にも観るべきところがたくさんありすぎて、時間が全然足りませんでした。すごい遠かったけどまた行きたいな。

 

今回京都でみた作品の中で、なるほど!とか、腑に落ちた!という感覚になったものはあんまりなくて、ほとんどの作品が逆立ちしたってよくわからない感じだった。

こんなにもわからない作品を見続けるのはすごく久しぶりな気がします。(というか、少しでも見方がわかる作品に出会えていること自体が奇跡なのかもしれない)

わからないものを見続けるのは、自分にちょっとした負荷をかけているようなものだと思います。負荷がかかりすぎるとしんどくなるので、今回はあまり無理をせずにほどほどにしようと思って、帰りにもう1回PARCに寄って帰りました。

 

佐藤さんの作品は、2回観てもどうしても手がかりが見つからないから一旦考えるのをやめて寝かせることにしました。

都築さんの作品は、大崎先生の文章と都築さんから聞いた話を手がかりに考えて、試し刷りの2枚がやっぱり良いなぁと思いました。(破れてるところも含めて。)

試し刷りの2枚がぐっときたのは、ドローイングとか他の作品と比較しながら観れたからであって、見せ方の重要性にも気づけました。

試し刷りじゃない大きい作品とかドローイングは、なんとなく型があって、コントロールの範囲内での不規則な動きに見えました。試し刷りの方はコントロールの範囲外の不規則な動きがあって、その差異にとてもぐっときました。そこに気づけたら、ブレイクスルーが起きてすごくすっきりしました。

今回、京都にいって考えたことは、わたしにはまだわからないことがいっぱいあるということです。でもわからないことがあるのは楽しい。そして、わからないにも種類があって、わからなくてもどうでもいいわからなさとか、わかりたいわからなさとかいろいろある、ということが今回の展示をみてわかりました。

また京都行こうとおもいます。違う土地で考えるのもまた刺激になって楽しい。

 

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「地獄に虹がかかる」

一昨日、午前中に本部で会議があり、昼に終わったのでその足でサテライトギャラリーに行って、石場さんと中山さんの展示をみた。

石場さんとはこれまでいろいろたくさん話してきたけど、中山さんとはそんなに話したことがなかった。

 

中山さんの作品は、秋に学食二階で観たことがあったけど、どうやって観たらいいのかわからなかった。ただ、ポートフォリオをめくってみて、中山さんの作品のタイトルは、どれも語感が軽やかでかっこいいなと思った。

 

一昨日観にいった展示でも、タイトルがすごく気になった。「地獄に虹がかかる」という作品のタイトルが特に気になった。

「地獄に虹をかける」でも「地獄にかかっている虹」でもなくて、「地獄に虹がかかる」。このタイトルに決めたのはなぜなのか、とても気になった。

 

中山さんの作品タイトルをみていると、なんとなくCDにして売れば良いのにと思ってしまう。

主語がだれなのか、どこからの視点なのかわからない。それがぐっときて気になるんだと思う。

なんでCDにすればいいのにと思ったんだろうと、いろいろ考えてたら初期のthee michelle gun elephantが浮かんできた。

初期のミッシェル、主語や視点がぼんやりしててすごく好きです。「さっきまでがアタマの中ではねた」とか、「じめる うなだれ つまさきで」とか。

なんか、勝手に色んなことがつながったように思えて、勝手に腑に落ちて、うれしくなっています。

 

展覧会に行って、作家と話して、こういう小さなブレイクスルーがぽつぽつと起こるのがとてもたのしい。たまにどしゃぶりになるときもあるけど、それはもっとたのしくてうれしい。

もっとブレイクスルーがたくさん起きて、びしょびしょでびたびたになるくらいどしゃぶりの雨を浴びたいです。(でもずっと浴びてると風邪引いて体力が弱るから、休み休みにしておこう。)

雨宮まみさんのこと

以前コレクター?ぽいおじさんが、若い作家さん(女性)に、「目立つためには絵だけじゃだめなんだ、もう一つ何か持ってないと。松井冬子みたいに美人なら良いけど、あんたは違うだろ?まぁ頑張って」みたいに言ってる場面に遭遇したのを思い出した。

その時に、作家さんに何か気の利いた言葉のひとつでもかけたかったし、そのおっさんに皮肉の一つでも言ってやりたいと思ったのだけど、良い言葉が見つからなくてとてももどかしかったのも思い出した。

今でもなかなか良い言葉が見つからないし、どうしたら正解だったのかもわからない。

いろいろと理不尽なことに直面したとき、これまではすごく感情的になって、当たり散らして、もどかしさを紛らわそうとしてきた。
でも今は、なるべく理不尽さを瞬時に淡々と言葉で理解して、説明できるようになりたいと思っている。

雨宮さんの文章を読んで、視野が広がったことが何度かあった。
私は本を何冊も持ってるようなファンではないけど、もう新しい文章が読めないと思うととても残念です。
雨宮さんの文章は、正解を教えてくれるというより、もどかしい気持ちや漠然とした不安を一緒に整理してくれる文章で、好きでした。

ジャズ研の先輩

どうしたら目の前で起きていることを面白がることができるか、という考え方を教えてくれたのは、らくださんというジャズ研の先輩だった。

それと、楽しくない状況をどう楽しむか考えることはすごく面白い、ということも、らくださんから学んだ。

 

私は自分の思い通りにならないとすぐイライラしてヒステリックになる、友達ができない典型のような学生であったので、軽々といろんな事態を乗り越えていくらくださんがとてもうらやましかった。

らくださんはいつもふざけている先輩に見えたけど、なんでも自分が楽しくなるように考えることのできる人だったんだなぁ、と今ならよくわかる。

私が1年のとき、らくださんは4年生だったので、実質1年くらいしか関わっていない。らくださんは卒業後、大手企業に就職して、そのあと何年かして転職して、今は何をされているかわからないけど、たぶんずっと自分がやりたいことを追求して楽しく過ごされていると思う。

 

らくださんは面白い先輩だったので、弟子のように慕っている人が何人かいた。私はそういう弟子のような人に比べたら、そこまで深く関わったわけではなかった。

らくださんの何気ない発言やふるまいに接したのは、人生の中でほんの一瞬のことだったけど、今でもなぜかときどき思い出してははっとすることがある。

ほんの一瞬ふれただけの、大したことない一言や行動が、私の人生に何かしらじわじわと影響を与えているようなので、他人の人生も自分の人生も面白いなぁとおもう。

 

誰かに影響される。影響されてとった行動が、また別の何かに変わったり、新しい局面を生み出す。

人は、偶然の積み重ねでいろいろな人と出会い、関わりながら生きていくわけだけど、それはジャズセッションみたいなものだと思う。

 

そういえば、ジャズ研の別の先輩で、大森さんという先輩がいて、誰かをセッションに誘うときはいつも「会話しようぜ」と声をかけていた。 大森さんの楽器はピアノで、 すごく上手くて、本当になめらかに会話をするように自分の気分を演奏で表せる先輩だった。

会話も、セッションも、人の関係性も、もっといえば人生も、影響しあいながら意図せず流動的に形が変わるものなんだって、それも先輩から学んだことです。

 

 

 

図にして理解すること

今日山口さんと話していて、頭に浮かんできた図です。

わたしは人と話している時に、ブレイクスルーが起きやすいです。そして、一旦ブレイクスルーが発生すると頭の中に図がポンポン浮かんできます。

考えたい内容はたぶん何でもよくて、目の前に出されたものには向き合う、というスタンスなのだろうなと今日少しおもいました。 

(だからきっと、理不尽なことを見過ごせなかったり、人と対立してしまったり、自分が納得するまで考え続けるのを止められなかったりするんだろうなぁ)

 

今、アートやアーティストについて考えたいから考えてるというよりかは、偶然こういう仕事に就いて目の前に出てきたのでなるべく自分が興味を持てるように考えてるだけ、という感じなのかも。

働いていると周りの人に自然とシンクロしすぎて忘れてしまうけど、たぶんこっちが本来のわたしのスタンスだろうなぁ、などと思ったり。

わかってはいるけど、憑依したまま役が抜けないみたいなところがあるので、気を付けようと思います。

 

 とにかく、今日は図がたくさん収獲できてよかったです。まるでテトリスが一気に崩せたような爽快感ですっきりしました。ありがとうございました。

わたしはわたしのやり方でこれからも考えたらいいし、他の人がすでにやってることならその人に突き詰めてもらえばいいし、 得意な人が得意なことをしていたら良いと思う。

動機は一つじゃなくていいし、正規のルートじゃない人が混じってた方が、なんとなく意図しない展開が生まれやすくていいんじゃないかな。

あとは、やりたいことをやらせてもらえたら、なるべくお給料+αくらいで還元していたいです。

なんだかまとまりのない読みにくい文章ですが、今の気持ちです。

 
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ラブホテル

この前、アッセンブリッジナゴヤに行って、城戸保さんと徳重道朗さんのアーティストトークを聞きました。

徳重さんは今年のファンデナゴヤでお世話になった方でしたが、事務的なこと以外はお話したことがなかったので、どんなことを考えている人なのか、少し知ることができてよかったです。

今回初めて知ったのですが、作品で使っている人形などはリサイクルショップで見つけてくるとのことでした。

その話を聞いて、今になってやっと、ファンデナゴヤの時に施設の長机が作品の一部として使われたことに納得できました。

先の記事に書いた浅井雅弘さんの作品や、今月初旬の「若手作家刺激プログラムmotion#3」での長瀬崇裕さんの作品もそうだったのですが、わたしは人が見過ごしてしまいそうものや、見向きもしないようなものをすくい上げて、ひねりを入れながら新しい見方を提示するという展開に惹かれるタイプです。

わざわざ人が見向きもしないような、価値がないと判断するようなものに着目して、新しい意味を見つけようとしたり、新しい解釈をしようとしたりすることは、結果的に意味や解釈が見つからなかったとしてもとても創造的なことだし、今の世の中で大事なことだと思います。

 

トークの後に、徳重さんのおすすめスポットを見るため、みんなで散歩しました。

あいにく徳重さんが見せたかったものは見られなかったのですが、すごく良い感じのラブホテルをみることができました。

わたしはラブホテルをみるのが結構好きなので楽しかったです。

ラブホテルは、よく見ると作りや照明が安っぽかったり、意外と庶民的なサービスをしていたりするのがいいなと思います。

以前、「無料でお好きなシャンプー選び放題!」みたいなサービスをしているラブホがあって、表に従業員の手作りっぽい看板が出ていて、すごく良いなぁと思った記憶があります。

ちなみにそのシャンプーのラインナップは、Tsubakiパンテーンなど、ドラッグストアで普通に買うことのできる「ちょっと良いシャンプー」でした。

「ちょっと良いシャンプーの選び放題」というサービスを考えた従業員(経営者の可能性もあるけど)の感覚は、自分とさほど変わりない気がします。

そういう人がラブホテルを作ってるんだなぁと思うと、ラブホテルが誰とも顔を合わせない仕組みを採用していることと対比されて、なぜかぐっときます。

 

わたしの中では、ラブホテルをみるのと同じ感覚で、団地やニュータウンをみるのも好きです。

団地は一見同じ形の同じ仕様の建物がいくつも供給されているだけのようですが、よく見るとそこに住んでいる人の手によって、生活をよりよくするためのいろいろな・ささやかな工夫が施されています。

(例えば、ベランダの鉢植えとか、ごみ捨て場の手作り感あふれる表示、誰かが寄付したっぽいカラスよけのネットなど)

通りがかりの人が見たら同じ建物が並んでるだけにしかみえないけど、たぶん住んでいる人にとっては1棟ずつ印象の異なる建物として、全く違う景色が見えているんじゃないかと思います。

団地という無機質の象徴みたいな建物と対比して、人の生活感が滲み出ている(滲み出てしまう)のはなぜかぐっときます。

こういうことを考えて何になるかと言われれば、何にもならないし、今のところ何にも使えないと思うけど、でも考えるのは楽しいです。

 

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