私をヴェネチア・ビエンナーレに連れてって(仮)

展覧会の感想や気になったことを書き留めて、整理する場所として使います。

わからないことに囲まれて

京都に行っていました。
佐藤さんと都築さんの展示を観る、京芸の修了制作展に行く、生肉を食べる、という当初の目的を無事に達成して帰りました。

京都芸大は初めて行ったけど、展示されてる作品よりも、大学の中のごちゃごちゃした生活感の方が気になってしまいました。(良い意味で)
作品以外にも観るべきところがたくさんありすぎて、時間が全然足りませんでした。すごい遠かったけどまた行きたいな。

 

今回京都でみた作品の中で、なるほど!とか、腑に落ちた!という感覚になったものはあんまりなくて、ほとんどの作品が逆立ちしたってよくわからない感じだった。

こんなにもわからない作品を見続けるのはすごく久しぶりな気がします。(というか、少しでも見方がわかる作品に出会えていること自体が奇跡なのかもしれない)

わからないものを見続けるのは、自分にちょっとした負荷をかけているようなものだと思います。負荷がかかりすぎるとしんどくなるので、今回はあまり無理をせずにほどほどにしようと思って、帰りにもう1回PARCに寄って帰りました。

 

佐藤さんの作品は、2回観てもどうしても手がかりが見つからないから一旦考えるのをやめて寝かせることにしました。

都築さんの作品は、大崎先生の文章と都築さんから聞いた話を手がかりに考えて、試し刷りの2枚がやっぱり良いなぁと思いました。(破れてるところも含めて。)

試し刷りの2枚がぐっときたのは、ドローイングとか他の作品と比較しながら観れたからであって、見せ方の重要性にも気づけました。

試し刷りじゃない大きい作品とかドローイングは、なんとなく型があって、コントロールの範囲内での不規則な動きに見えました。試し刷りの方はコントロールの範囲外の不規則な動きがあって、その差異にとてもぐっときました。そこに気づけたら、ブレイクスルーが起きてすごくすっきりしました。

今回、京都にいって考えたことは、わたしにはまだわからないことがいっぱいあるということです。でもわからないことがあるのは楽しい。そして、わからないにも種類があって、わからなくてもどうでもいいわからなさとか、わかりたいわからなさとかいろいろある、ということが今回の展示をみてわかりました。

また京都行こうとおもいます。違う土地で考えるのもまた刺激になって楽しい。

 

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