私をヴェネチア・ビエンナーレに連れてって(仮)

展覧会の感想や気になったことを書き留めて、整理する場所として使います。

星野源と年末年始

今から7〜8年ほど前の大学生の頃、学祭に星野源さん(以下敬称略)が出演してくださったことがあった。

当時はSAKEROCKの活動と並行して、ソロでもライブをされているような時期だったと思う。その時は、ソロになって老若男女から愛されるアーティストになるとは、失礼ながら思いもしなかった。

 

大学にはいくつかのバンドサークルがあったけど、どのサークルにもSAKEROCK好きがいた気がする。特に好きってわけでなくても、みんな聴いていたし、コピーしてる先輩もいた。

私の大学では、毎年バンドサークル(音系と呼んでいた)の中に何人か学祭実行委員をやる人がいて、その人たちが学祭のライブ企画を主導していた。だから、星野源も音系の先輩が呼ぶと決めて、ブッキングしていた。

 

その年の学祭は2ステージ制だった。

学食とB201教室の間にあるバスケットゴールのある広場(何て呼んでたか忘れた)と、円形芝生の広場(通称:円芝)にそれぞれイントレを組んでステージを作っていた。

星野源は、午後のまだ明るい時間帯に円芝ステージの方に出演して、ステージにあぐらをかいて座り、確かギター一本で弾き語りだったと思う。客はまばらで、みんな芝生に座ったり寝転んだりしてまったりしていた。森ガール(懐かしい)が好みそうなフェスがそこにあった。

 

学祭が終わって片付けをしていると、ライブ企画を担当した先輩が私のサークルにやってきて、「ラスト1枚なんだけど誰か欲しい人いない?」と、星野源のサインを持ってきた。

どうやら学祭実行委員のために、20枚くらいまとめてサインを書いてくれたらしい。その最後の1枚が巡り巡って私のサークルに持ち込まれていた。

私より星野源好きな人もいただろうに、誰も貰おうとしないので、私が貰うことになった。そんなにファンじゃなかったけど、その場のミーハー精神で貰ってしまった。

貰った後はしばらく飾っていたけど、色褪せないようにほかの大事なもの(通帳と、椎名林檎ファンクラブの会報)と一緒にチャック付きファイルにしまっておいた。

 

それから5年くらい経ち、私は地元に戻って大学院に入学し、修了し、就職した。

その間にSAKEROCKは解散して、星野源はソロになり、アミューズに所属して、説明の必要がないくらいに人気者になった。

私はミーハー精神からふと久しぶりにサインでも眺めてみようと思い立ち、あのファイルを開けた。 

 

すると、そこには椎名林檎ファンクラブの会報と、使い終わった古い通帳しかなかった。

サインは大事にしていなかったわけではないけど、チバユウスケに貰ったサインほどは大事にしていなかったかもしれない(チバユウスケのサインは、もし南海トラフ地震が起きてもすぐ手にとって逃げれるような場所に置いてある)。

私はチバユウスケのサインと同等に大切にしなかったことを後悔しながら、記憶を辿って部屋中を探してみた。でも、星野源のサインはやっぱり見つからない。

 

それ以来、毎年年末に紅白歌合戦に出ている星野源を見ていると、申し訳ない気持ちがこみ上げてくるから、一生懸命大掃除をするようになった。

今年は絶対に見つけようと思って、クリスマス前からかなり頑張って大掃除を始めてみたものの、やっぱり見つからなかった。

その代わりに部屋がめちゃくちゃ綺麗になって、大きいごみ袋3袋分くらいのゴミがでた。

大掃除をしていると、もう帰国した留学生の友達から貰った手紙や、大学時代に真面目に取っていた講義ノート、ゼミの友達と撮った懐かしいプリクラなどが発掘された。探していたわけじゃないけど、大事なものがいくつか見つかったので嬉しかった。

 

人生では往々にして探し物が見つからないし、探してないものの方が見つかることが多い。

だから、もしかしたら星野源のサインは見つからない方がいいのかもしれない。むしろ、サインが見つかってしまったら、私はもう二度とこんなに大掃除を頑張れない。

別の見方をすれば、星野源のサインを本当に見つけたかったら、探さない方がいいかもしれない。

 

 

これは認知的不協和の低減に過ぎないとわかっているのだけど、そういう謎の境地に達する年末年始を、また今年も過ごしました。

とりあえず、2019年が良い年になることと、早くこのもどかしさから解放されること、そして星野源さんのますますのご活躍をお祈り申し上げたいと思います。